2. アルミニウム合金船構造指針の歴史
2.1 黎明期
アルミニウムは地殻表層部にある金属元素中で最も豊富なものであるが、酸素と化合しやすく、還元して純金属を得ることが困難だったため、その精練法の開発は銅・鉄などに比べて著しく遅れた。1807年(文化4)に金属アルミニウムが初めて発見され、1854年(嘉永7)にフランスで純粋なアルミニウムの工業生産の基礎が作られた。
比重が鋼の1/3と軽いアルミニウムを船舶に使用することは早くから造船家が注目していたが、船体をアルミニウム合金で造ったボートが初めて建造されたのは1891年(明治24)で、スイスのエッシャーウィス(Escher Wyss)社が建造した8人乗りの小艇だった。続いて同社は1892年(明治25)、ヨットミグノン(Mignon)を建造した。このヨットは、スイスの湖で使用される全長13.1m×最大幅1.8mの、2本のマストと煙突を有するモーターヨットで、6馬力のナフサエンジンで13?q/hを出した。クランクとシャフトを除き、全てアルミニウム製で、船体は鍛造のフレームに2.5mの外板が張ってあった。
1894年(明治27)には、フランス海軍の注文で英国のヤロウ社(Yarrow:駆逐艦・水雷艇・水管缶で有名、19世紀末から20世紀初めにかけてモーターボートでもトップメーカーの一つ)が62フィート型水雷艇を建造した。全長19m×最大幅2.77m、排水量14トンのこの艇は、船殻重量わずか2.5トンであって20.5ノットを出し、当時の同クラスの他の水雷艇に比べ3ノットほど速かった。しかし、船体材料が銅を6%含んだアルミニウム合金だったため、腐食を起こしたという。
1920年代(大正9〜)になって、耐海水性のA1−Mg合金が発達し、船舶用材料としてアルミニウム合金が見直された。また、A1−Mg−Mn合金が船舶用として1929年(昭和4)に英国で特許を得ている。
耐食アルミニウム合金を使用した最初の大型艇は1931年(昭和6)、英国のバーマル(Birmal)社の建造したエクスプレスクルーザーダイアナ?U(Diana?U:16.7×3.66x1.73m)である。
これは、3.5%MgのBB3合金を使用し、外板厚さ3.2m、4mで235馬力ガンリンエンジン2基
で20ノットを出した。この船は1955年(昭和30年)、自航してロンドンで開催されたアルミニウ
ム100年祭展覧会に参加し、これを機会に船体の検査が行われたが、約1/4世紀使用された後でも良好な状態を保持していたといわれる。1961年(昭和3(1年)に初めて外板の取替えが必要となった。後に述べる「あらかぜ」とほぼ同様の大きさ、速力を持ち、使用期間についてもやや近い。「あらかぜ」の場合は27年後、機関の老朽で廃船になったが、船体は十分に使用可能な状態を保っていた。
我が国においては、明治32年(18990に、53トン型水雷艇の建造に当たって、扉、昇降口蓋等艤装品類に広くアルミニウムを使用し、それによって約1.5トンの重量軽減を得た。
旧海軍の内火艇図集に、駆逐艦7号(松風、大正13年(1924)完成、舞鶴工作部建造)月内火艇として船体ジュラルミン製と注記された7.55m内火艇(全長7.55m、最大幅1.50m、深0.93m、
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